2001年4月ごろの自分~この世のなにか~

 04, 2006 10:38

かなり怪文書ではあるけど。

今でも変わらぬ部分は。

・一般的に言われる神と言われるものとは別のものが存在してそう。

・世の中のニーズに合わせて変遷していった既存宗教は信じることができない。

 

◆◇◆◇以下原文◇◆◇◆

~今日の徒然草~(2001. 4 . 9)

 

 ほぼ、五ヶ月ぐらいの更新になります。今日の徒然草です。

 トム・ハンクス主演の「グリーンマイル」ようやく見ました。トムさん主演のは、

 「プライベート ライアン」以来です。(DVD購入で)

 で、感想ですが、結構いい映画でした。プライベート ライアンのように落涙することはなかったですが、

 感じ入ること、多々です。

 「無実」を知りながら死刑執行を行う。

 職務に対する、忠実さや誇り。それを上回る囚人への想い。とか、描けてます。

 (あえて、注文つけるなら、その辺の葛藤をもうちょっと、感傷的・感動的に踏み込んでほしかったですが)

  作品本編から感じたことより、身内の曽祖父に対する想いが生まれるきっかけになった作品になりました。

 

 以上。前置き。

 

  私の曽祖父ですが、なにげに離婚家庭なので、血はつながっていても戸籍上は他人です。

 非常に元気で95歳まで畑仕事をしていた恐るべきパワフルじーさんです。(笑)

 (あの血が私にも流れていることがうれしいです)

  ひいじいさんが、特別な存在になったのは13年程前からです。

 正月、生まれ故郷の鹿児島に帰ると、私たちには「お年玉」という、イベントがあります。

 その年の正月まで、もらえることが当然。少ないと心の中で悪態をつくような少年だったのですが、

 バイトをするようになってその辺が一変しました。

 年金生活を送るお年寄りが、その収入から孫や曾孫にお年玉をあげている。

 それに思い至ったとき、急にもらうこと自体に引け目を感じるようになったのです。

  

 親戚への新年挨拶の最後が、田舎に住む曽祖父でした。

  

 曽祖父はやっぱり元気で、100歳になっていても、背筋がしゃんとしていて、

 一年前と変わらないように見えます。

 でも、70年をこえる年月を連れ添った、曾祖母が前年に亡くなっていたので、

 若干の表情に陰りは、隠せないように見えたのを覚えています。

  やって来た曾孫に、いつもどおり「お年玉」をあげようと封筒を取り出したのですが、

 私は固辞しました。「絶対にもらえない」と頑固に言い張る私にむけた、曽祖父の目がすごく印象的でした。

 「深く、見透かすような目。でありながら、探られることを不快に思わないような複雑な目」です。

  お年玉はもらいませんでしたが、その年からはとても、貴重な話をしてもらえるようになりました。

 以後、曽祖父は私が訪ねてきても、お年玉を用意しようなどということは一切ありません。

 それが非常にうれしく、また、誇りに思えたことです。

  

 曽祖父の話はどれも1世紀に及ぶ経験や、哲学めいたことがあって、どれも記憶にとどまっているのですが、

 ひとつ挙げるなら、私の宗教に対する概念を微塵にした話があります。

 今回はその話と、それから派生した私の考えみたいなものを書いてみようかな?と思います。

 

 

 既存宗教は多々あります。2000年を超える歴史を持つものもありますし、新興のものもあります。

 わたしは、無神ですが、既存宗教の神を信ずる人を否定する気は全くありません。

 それぞれの神への信仰を考え方の中心に据えたり、生きる寄りしろにする方の思いは、

 かけがえないと思いますし、それぞれの人の「真実」であるのだから、

 否定すること自体意味を感じません。

 

 しかし、それぞれの時代のニーズに合わせて変遷したり、分派したり、抗争したり。

 また、各経典と、現実社会での矛盾等を考えると、私は信じることができません。

 

 が、神そのものの、存在自体は否定はできてないです。(実際存在を感じたわけじゃないですが)

  

 曽祖父の話で出てきたのが、その「なんらかの偉大な存在」の話です。

 曽祖父も既存宗教の神への疑念は強いようでした。

 しかし、この世の森羅万象における、不思議な存在は感じるとのことです。

 一つ例を挙げるなら、

  

  地球の活動で、海底が隆起し、新たに島ができる。

  やがて、風が植物の種を運び、徐々に島の様相が整っていく。それだけなら、

  ありふれた自然の一現象としか感じません。

  そして鳥が、住み着き、野鳥の楽園が出来上がっていく。

   が、陸上生物が住み着き始めるプロセスが不思議でしょうがありません。

  近場の島から、その島への経路は「海」以外存在しません。

  事故で流れ着く確率たるや、極小過ぎます。

  それに、それまで不自由なく暮らしていた、その島の生活を捨て、

  なんで、その島に行こう!と、それら陸上生物が考えるのか不思議です。

   しかも、新しい島で増えていくには「オス・メス」のつがいが不可欠なのです。

  私は曽祖父の話を聞いて驚くとともに、つがいの動物が、その新しい島にたどり着く確率を、

  想定するのも馬鹿らしくなりました。

   しかも、新たな島に、複数の陸上生物が住み着き、そこであたらしい、生態系のピラミッドを

  形成してゆくのです。どう考えても、不思議です。

  (南方の島なら、オオトカゲすら海岸にでて、流木に乗っかって海を渡るのですから。

   なんで、海の向こうに、新しい島ができているのかを知っており、

   海岸に出てみて、危険すぎる海を渡ろうとするのか?

   そのオオトガゲに理由を尋ねたいくらいです)

 

  この例だけじゃないですが、地球上の生物が住める生活圏を広げ、用意し、

  そこに生き物を住まわせていく。そこら辺に「なんらかの偉大な存在」を感じます。

 

   曽祖父の話から派生させた、私の考えなのですが、

  今、地球の陸上には、「人間」が繁栄しています。この繁栄すら、その存在が既定したものなのでは?と。

  進化の頂点にあり、生活圏を独自に広げていく「人間」。

   もしかしたら、「何らかの偉大な存在」なんて、存在していなく、私たち全生物の遺伝子に組み込まれた、

  共通の方向性(本能レベル遺伝子レベルで共有するベクトル)かもしれませんが、

  少なくとも地上では人間は繁栄しています。

   今、環境破壊とかで、地球を痛めつけておりながら繁栄している人間とは、なんなのか?

 

   考えたのですが、それすら許されているのでは?と。

  生活圏の拡大が、意思であったり、方向性であるとするなら、「宇宙への生活圏拡大」というのは、

  大きな進展だと思えます。

  それが、可能なのが人間だけなのだから。

  宇宙から生まれた地球という星。地球で育った生命が、また宇宙に戻り、広がっていく。

  地球が生まれて50億年ほどという時間は、宇宙のスタンスで考えると、短期間ですらあるのかもしれません。

   米ソの冷戦をある一面、「宇宙開発」という面で捉えると、張り合いからとはいえ、

  すさまじい熱意とスピードであったように思えます。その一面だけなら、

  私には米ソ冷戦終結は、悲しいものです。

    

   早い段階で宇宙進出を成就し、文明圏の人類は全て宇宙に移り住み、

  地球を自浄のサイクルに立ち戻らせることができたら?

  環境破壊への対策も重要ですが、根本的なものを考えると、宇宙開発も重要だと思います。

  変な理論に思える人も多々いるでしょうが、この方面に関する私の考えは上記のとおりです。

 

 

  映画を見ていたら、不思議な力を持った囚人から、その力を受け継いだばかりに、

  死ぬことができなくて、長い年月を親しい友人たちが死んでいくのを見守る。

  映画ラストの主人公から、曽祖父や、その言葉を思い出しました。

 

  戸籍上他人になってしまったので、連絡が取れなくなっています(向こうに電話がない)。

  今も元気にしていることを、祈ります。(健在でしたら110歳・・・・・)

 

  *文中の「なんらかの偉大な存在」ですが、現代の経営の神様といわれる、船井氏は、

  「Something Great」と呼んでますね。直訳すれば「何らかの偉大な存在」。

  曽祖父が、まさか船井経営哲学の本を読んでるとは思えないですが。(10年前だし) 

 

◆◇◆◇ここまで◇◆◇◆

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